書き下ろし感動

写っていないほう

約2,759字 読了目安 約6分 2026年10月29日 公開

妹は、私の写った写真だけを、捨てる箱に入れていた。

七五三。海水浴。父の還暦祝い。

十枚目で、私は妹の手首をつかんだ。

「それ、欲しい」

妹の佳奈は手を止め、私の顔を見た。

「じゃあ、持っていって」

何も悪いことをしていない声だった。

母が亡くなって三年、父が施設に入って半年。

実家を売ることになり、私たちは日曜日ごとに荷物を片付けていた。

私は電車で一時間半かけて来る。佳奈は、ここから歩いて五分のアパートに住んでいる。去年まで実家で父と暮らし、父が施設に入るとすぐ部屋を借りた。

家具も食器も、互いに欲しいものを取った。写真だけが、最後まで残った。

佳奈は、印刷した紙を机に置いた。

〈各自の写った写真は、写っている人が持ち帰る。両方写っている場合は希望を聞く。残りは処分〉

「そのほうが早いから」

確かにわかりやすかった。

私には娘がいる。自分の子ども時代を見せたいと思ったし、母の若いころの写真も残したかった。佳奈は独身で、アルバムを置く場所がないと言った。

佳奈が最近の写真をまとめて処分の箱に入れたとき、私は手を止めた。

父の誕生日の写真だった。

去年の六月、私はケーキを持って来た。娘がろうそくを立て、父が吹き消した。父の手が震えるので、私が皿を支えた。

「これも?」

「お姉ちゃん、写ってるから。いらないなら捨てる」

「佳奈はいらないの」

「私は、別に」

父は笑っている。私も、娘も、笑っている。

佳奈がいらないというのは、私たち三人をいらないと言われたように聞こえた。

「そんな言い方、しなくても」

佳奈は写真の角をそろえた。

「どんな言い方ならいいの」

昼、私は弁当を買いに出た。

帰ると、佳奈は古い携帯を充電していた。父が使っていたものだ。

画面には、同じケーキが写っていた。父と私と娘。佳奈は撮る側だった。

「佳奈も一緒に撮ればよかったのに。言ってくれれば、撮ったよ」

「言ったよ」

佳奈は画面を消した。

「ケーキの前に。三脚、出そうかって。お姉ちゃん、娘が昼寝の時間だから、早くしてって言った」

覚えていなかった。

私は弁当の蓋を閉じた。まだ食べ始めてもいなかった。

帰りの電車で、去年のメッセージを開いた。

〈次の土曜、午前中だけ来られる?〉

〈ごめん、娘の運動会。来月なら〉

〈冷蔵庫壊れた。明日、搬入の立ち会いお願いできる?〉

〈平日は難しい。お金は半分送るね〉

私は送金した。父の通院のタクシー代も、施設の入居費も、多めに負担した。していなかったわけではない。

けれど、やりとりを一つずつ見返すと、佳奈が頼んだ日と、私が来た日は、ほとんど重なっていなかった。

翌週、私は一時間早く着いた。

母が亡くなってからの写真を、時系列に並べた。父の誕生日、娘の入学祝い、正月、去年の秋の公園。

佳奈は、一枚も写っていなかった。

「自分の携帯にはある? 佳奈とお父さんの写真」

「ない」

佳奈は台所から出てきて、机の正面に座った。

「お姉ちゃんがいるときは、お父さん、ちゃんと着替えたんだよ」

私が行くと、父は背筋を伸ばし、娘の学校の話を聞いた。

私が帰ったあとは、靴を脱ぐのに疲れて、玄関に座り込むことがあったという。夕飯を食べずに眠り、夜中に起きて朝だと言う。佳奈が差し出す服を、床へ落とす。

「でも、それは、お姉ちゃんのせいじゃない。楽しい日は、あってよかった。それは本当」

佳奈は、去年の公園の写真を取った。

父と私がベンチに座り、娘が落ち葉を頭に載せている。佳奈はこのときも、撮っている。

「これ、施設の人に見せたよね。そしたら、お父さん言ったの。姉ちゃんが、よく連れ出してくれてたって」

私は、次の言葉を待った。

「私のことも聞かれたよ。毎日の買い物と病院は妹さんですかって。お父さん、そうだったかなあ、って」

佳奈は声を荒らげなかった。

「仕方ないのは、わかってる。忘れるんだから」

写真を撮るとき、私は誰に携帯を渡すかを、一度も迷わなかった。

佳奈は家族の輪から外れていたのではない。私たちを一緒に写す位置に、立たされていた。

施設に行って、父に言おうかと考えた。あなたの隣にいたのは佳奈だった、と。

その場面を思い浮かべて、やめた。

父が覚え直せなかったら、佳奈はもう一度、忘れられる。佳奈のいないところで、私が正しい娘になるだけかもしれない。

「捨てるっていうのは、私を消したいんじゃなくて」

佳奈は、少し笑った。

「お姉ちゃん、まだ自分が主役だと思ってる」

私は、何も言えなかった。

父の古い携帯を送ると、手ぶれした床や、父の指が写った画像が続いた。

最後のほうに、一枚だけ佳奈がいた。

台所で鍋をかき混ぜている。背中から撮られ、顔は見えない。

ほら、あったよ、と言いかけた。

私は何も言わず、携帯を佳奈のほうへ向けた。

「ああ、これ。焦がした日だ。煮魚。お父さん、台所が火事だって言って、写真撮ってた」

確かに、鍋の端から少し煙が出ている。

思いがけない宝物を見つけたつもりになっていた自分が、急に恥ずかしかった。

「これ、残す?」

「佳奈が決めて」

佳奈はしばらく画像を拡大していた。父が撮った妹の写真は、これ一枚だった。

「消していい?」

「うん」

佳奈は、ごみ箱の印を押した。

私は、画面が切り替わるまで目をそらさなかった。

午後、私たちは分け方を書いた紙を捨てた。

佳奈は海水浴の写真を一枚取った。私が砂に埋められて、泣いている写真だった。

「これは、持っていく。私、これを撮ったあと、助けようとして転んだの。お母さんが、二人とも泣いてるって笑ってた」

佳奈は写真を裏返した。母の字で日付が書いてあった。

佳奈の持ち帰る箱には、写真が六枚。私の箱には、百枚近く。数をそろえる必要はなかった。

「来週は、私が一人でやる。佳奈、休んで」

「来週は来るよ。再来週、引っ越しだから」

初めて聞いた。

相談してくれれば、と言いかけて、口を閉じた。

「荷物、運ぼうか。何時に?」

佳奈が答えた時刻を、私は予定表に入れた。写真のない、短い予定が一つできた。

玄関で靴を履くとき、佳奈が私を呼んだ。

台所の敷居に立って、携帯をこちらへ向けていた。

「箱、持ってるところ撮っていい?」

「いいよ」

佳奈は一枚撮り、私に送った。

実家の玄関で、大きな箱を抱える私が写っていた。目は少し赤く、腕まくりした服には埃が付いていた。

私も携帯を出した。

レンズを向ける前に、聞いた。

「佳奈も、撮っていい?」

佳奈は少し驚いた顔をした。空いた両手を見下ろして、それからポケットに入れた。

「今日は、いい。顔、ひどいから」

私は携帯をしまった。

「じゃあ、引っ越しの日」

「荷物運んでるとこなんか、撮らないでよ」

「撮らない。片付いたあとにする」

佳奈は玄関の鍵を私に渡した。

「じゃあ、次はお願いね」

帰りの電車で、予定表を開いた。

再来週の、写真のない予定の横に、一行だけ書き足した。

〈佳奈を撮る。先に聞く〉

了