書き下ろしイヤミス

かぶり

約4,084字 読了目安 約8分 2026年10月28日 公開

ここのだし巻き、うまいんだよ。野口もさ、好きだったんだよな、これ。

すみませーん、生ふたつと、だし巻き。

いいって、今日は俺が出すから。こういうときは上が出すもんなの。

あ、そうだ、昼のお前の発注書な。先方に出す前に、ちょっと数字いじっといたから。ケースと個数、混ざってたろ。ああいうの、俺、気になっちゃうんだよ。

で、野口。お前の前にあの席に座ってたやつ。知らない? そうか、お前が入ったときはもう休職してたもんな。

いいやつだったよ。ほんとに。真面目でさ、ちょっと真面目すぎるくらい。メールの文面、三回くらい書き直してから送るタイプ。わかるだろ、そういうやつ。お前もちょっとそうだよな。いや、褒めてんの。

で、今日の件な。

いや、いいんだって、謝んなくて。顔上げろよ。あんなの誰でもやるって。発注書の数量、ゼロ一個多かっただけだろ。先方が気づいて電話くれたんだから、実害はないんだし。

でもまあ、部長の耳には入るわな。先方の担当、部長と同期らしいから。そういうのは、どっかから必ず入る。だから俺、先に行ってきたの。夕方、お前が倉庫行ってるあいだに。

「すみません、森の件、私の確認不足です」って。

……なに、その顔。

いや、普通だろ。俺が係長なんだから。部下のミスは上のミス。当たり前のことだよ。俺はずっとそうしてきたし、これからもそうする。お前が部長に呼ばれて、ひとりで詰められるより、ずっといいだろ。

部長? 「加賀くんがそう言うなら」って。それで終わり。な? 楽なもんだよ。

俺さ、新人のころ、ひどい上司についたことがあんの。

ミスするだろ。そしたらそいつ、真っ先に「僕は聞いてませんでした」って言うわけ。部長の前で。俺の顔も見ないで。で、そのあと俺のとこ来て、「ああいうのはさ、お前がちゃんと言わないから」って。

それで決めたんだよ。俺は絶対、ああはならないって。下のやつのミスは、全部俺がかぶる。かぶって、上にはきれいに謝って、下には何も言わない。それが上に立つ人間の仕事だって。

野口のときも、そうだった。

あいつ、二年目の秋くらいかな、見積もりの単価を一桁間違えたんだよ。今日のお前のと似たようなやつ。で、俺が部長のとこ行って、「野口の件、私の監督不行き届きです」って頭下げた。

そのあとも、何回かあったな。納期の連絡が一日遅れたとか、議事録の宛先が一人抜けてたとか。細かいやつ。そのたびに俺が行って、「野口の件、すみません」って。

部長も、最初は「気をつけてね」くらいだったんだけど、だんだんさ、俺が部屋に入ってくだけで、「また野口くん?」って言うようになって。

いや、笑うとこだよそこ。

俺もさ、「いやいや、私の確認が甘かったんです」って返すわけ。そしたら部長、笑って「加賀くんは部下思いだねえ」って。誰も悪者にならない。いい職場だろ。

野口本人には、何も言わなかった。言ったら気にするだろ、あいつ。あいつのデスクにさ、ときどき缶コーヒー置いといたりして。「最近がんばってるな」って。あいつ、照れくさそうに「ありがとうございます」って言ってたよ。

ああいう顔、見るとさ、かぶってよかったなって思うんだよ。ほんとに。

だし巻き来た。ほら、熱いうちに食えよ。

三年目になって、ちょっと大きい案件のリーダーやらせてみようって話が出たんだよ。俺が推したの。あいつ、もう一人で回せるって思ったから。

そしたら部長がさ、「野口くんは、まだちょっとミスが多いんじゃないの」って。

俺、びっくりしてさ。だって部長には毎回、「もう大丈夫です、本人もよく反省してます」って言ってたんだから。何回も。ちゃんと、毎回。

だから俺、そのときも言ったんだよ。「野口のミスは、全部私の確認不足です」って。部長、なんか遠い目して「加賀くんがそこまで言うなら、なおさら今回は見送ろうか」って。

……え? いや、なんで俺が悪いみたいな顔すんの。俺はかばったんだよ。最後まで。

結局、リーダーは別のやつになった。俺の同期の、大西ってやつ。あいつ、要領いいんだよな。ミスしても、自分で先に部長のとこ行っちゃうの。そういうの、俺はあんまり好きじゃないけど。

野口には言ってないよ、もちろん。言えるわけないだろ、「お前のミスが多いって部長が言ってた」なんて。かわいそうじゃん。だから俺、「今回はタイミングが合わなかった」って言っといた。

あいつ、変なとこで勘がいいんだよな。

その年の暮れくらいから、部長と話すとき、目が泳ぐようになってさ。会議でも発言しなくなって。何か聞かれても、「加賀さんに確認します」って。

で、ある日、俺のとこ来て言うわけ。

「加賀さん、僕、部長に何か言われてますか」って。

俺、正直に答えたよ。「何も言われてないよ。全部俺のとこで止めてるから、お前は気にすんな」って。

本当のことだろ? 全部俺のとこで止めてたんだから。

そしたらあいつ、なんか、すごい顔してさ。泣きそうな、笑いそうな。「止めてる、って、何をですか」って。

いや、だから、お前のミスをだよ、って。俺がかぶってるから、お前の評価には響かないようにしてるからって。

あいつ、しばらく黙っててさ。それから、「僕、そんなにミスしてましたか」って。

してたよ、って言った。だって、してたんだもん。数えたら、二年で十四回。俺、手帳につけてたから。いや、責めるためじゃないよ。かぶったぶん、ちゃんと覚えとかないと、どこで何を謝ったかわかんなくなるだろ。

……なんでお前が俺の鞄見るんだよ。いや、いいけど。うん、入ってるよ。黒いやつ。

あいつ、その手帳、見せてくれって言ったんだよ。

見せたよ。隠すことなんか何もないし。

あいつ、一ページずつめくってたな。すごくゆっくり。ときどき指が止まってさ、ある行のとこで、「これ、僕じゃないです」って言ったんだよ。

議事録の宛先が抜けてたやつ。あれ、実は派遣の子が送ったやつだったらしいんだよね。野口が席外してるときに、代わりに送ってくれって頼まれたとかで。

でもさ、送信者は野口なんだから、野口の件だろ。俺は部長にそう謝った。それで何も間違ってない。

あいつ、ほかにもいくつか、「これも」「これも」って指さしてさ。納期の件は先方の担当が日付を勘違いしてたとか、単価の件は、前の日に誰かがファイルを上書きしてたとか。いや、そういうこともあるかもしれないよ。でも、もう謝っちゃったあとなんだからさ。終わった話を掘り返しても、誰も得しないだろ。

俺、そう言ったんだよ。「済んだことだから。な」って。

あいつ、手帳を閉じて、俺に返して、「ありがとうございました」って言った。それが、まともに話した最後かな。

……ああ、うん。そのあと、ひと月くらいで休職。

医者の診断書が出てさ。適応障害っていうの? 俺、それ聞いて、本当にショックだったよ。何が足りなかったんだろうって、ずいぶん考えた。もっとかぶってやればよかったのかなって。

部長は「加賀くんのせいじゃないよ、あれだけフォローしてたんだから」って言ってくれたけどさ。

人事の面談でも、聞かれたよ。上司としてどう関わってましたかって。だから全部話した。ミスがあるたびに、私が先方と部長に謝罪して、本人には負担をかけないようにしていましたって。人事の人、メモ取りながら、「手厚いですね」って言ってた。

今でもときどき、LINE送ってるよ。「無理すんなよ」とか、「席はそのままにしてあるから」とか。

既読は、つかないけどな。まあ、休んでるんだから、それでいいんだよ。

あいつのデスク、まだそのままにしてあるだろ。お前の隣の。俺、ときどき引き出し開けてさ、中を確認してんの。いや、変な意味じゃなくて、戻ってきたときに困らないように。ボールペンのインクが切れてないかとか。付箋が残ってるかとか。

なんだよ、黙っちゃって。飲めよ、ぬるくなるぞ。

あのさ、森。

俺、お前には野口みたいになってほしくないんだよ。わかる? だから言っとくけどさ、今日の件、部長に自分から謝りに行こうとか、思わなくていいからな。

いや、思ってたろ。顔に書いてある。明日の朝いちで部長のとこ行って、「昨日の発注の件、私のミスです、申し訳ありません」って言おうとしてたろ。

やめとけって。

お前が自分で行ったら、「森くんは自分のミスを自分で報告に来た」って記録が残るわけ。そういうのって、残るんだよ。

な? 黙ってるのが、いちばんいいの。

俺がかぶるから。全部。

あ、そうそう、これ。

いや、たいしたもんじゃないよ。手帳。新しいやつ。野口のと同じ、黒の。

お前のぶんは、今日から付けはじめたから。一個目。日付と、案件名と、先方の担当と。部長にいつ謝ったかも書いとく。そうしないと、俺のほうがわかんなくなるからさ。

見たかったら、いつでも見せるよ。隠すことなんか何もないし。

……え? なに。聞こえない。

ああ、「僕じゃない」? 何が?

ああ、発注書の数量? あれ、お前が作ったのと違う数字だって?

ふうん。

いや、そうかもな。システムの履歴見れば、誰が最後に触ったかわかるのかもしれない。俺はそこまで見てないけど。

でもさ、森。

もう、俺、謝っちゃったから。お前の名前で。部長、もう覚えちゃったから。「森の件」って。

今さら「僕じゃありませんでした」って言いに行ったら、どうなると思う? 部下のミスをかばった上司に、部下が「余計なことしないでください」って言ったことになるんだよ。そういうふうにしか見えないんだよ、外からは。

それ、お前の得になる?

ならないだろ。

だからさ、いいんだって。誰がやったかなんて、どうでもいいの。大事なのは、ちゃんと誰かが謝ったってこと。それで会社は回ってるんだから。

ほら、だし巻き、最後の一個。食えよ。遠慮すんなって。

野口も、最初はそうやって遠慮してたんだよな。俺が何か頼むと、「いえ、加賀さんが」って。ほんと、似てるよ、お前ら。

だから、俺がちゃんと見ててやるからさ。

明日な。普通に来いよ。普通に、いつもの時間に。部長に何か聞かれたら、「加賀さんに確認します」って言えばいいから。

それだけでいいから。な。

了