書き下ろしイヤミス

あの子を呼ばなかった理由

約2,798字 読了目安 約6分 2026年10月29日 公開

「あの子には、知らせないほうがいいよ」

理恵がそう言ったとき、私は名簿の一行を灰色にした。

二十五年ぶりの同窓会だった。

千尋の連絡先は、まだ誰も入力していなかった。

中学校の同窓会を開こうと言い出したのは、理恵だった。

地元に戻ってきた私が手伝うことになり、駅前の店を予約した。

出欠の返事が来るたび、名簿に丸を付けた。

四十人いたクラスのうち、二十三人が来る。当時の担任も、顔を出してくれることになった。

千尋を呼ぶかと聞かれたのは、会場を押さえた翌週だった。

理恵は昔のアルバムを膝に置いていた。

「あんなことがあったのに、今さら集まろうって言われても、困るんじゃない?」

千尋の机には、よく誰かの荷物が置かれた。

掃除当番でもないのに、ごみを捨てるように頼まれた。

卒業前には、話しかけても返事をしない遊びが流行った。

遊びと呼んでいたのは、返事をしない側だった。

私は、中心にいたわけではない。

千尋が教室を出たあと、どこへ行ったのか聞かなかった一人だった。

「お酒が入って、また昔の呼び方でもしたら嫌じゃない。せっかく忘れて暮らしてるかもしれないのに」

その通りだと思った。

一晩の酒席を、誰かの謝罪を待つ場所にしたくなかった。

私は名簿の名前を消さず、行だけ灰色にした。

消してはいない。そのことが、自分には少し大事だった。

二日後、先生からメールが来た。

連絡の取れていない人の住所を、本人の了承を得た分だけ教えてくれた。千尋のアドレスもあった。

〈幹事さんから案内を送ってください、と伝えてあります〉

私は、ありがとうございます、助かります、と返信した。

案内は送らなかった。

理恵は、当日流す思い出のスライドを作っていた。写真は私が集めた。

アルバムをスマホで撮り、画面に合わせて端を切った。

卒業遠足の写真があった。

バスの前で、みんなが肩を寄せて笑っている。私は中央で、理恵の肩に手を置いていた。

写真の右端に、制服の袖が少し見えた。

そのままにすると、全体が小さくなる。

私は笑っている顔が大きくなるように、右端を切って、理恵へ送った。

〈これ、懐かしい。みんな若いね〉

理恵の返事を見ながら、私も笑った。

同窓会の一週間前、知らないアドレスから連絡が来た。

〈千尋です。先生から幹事はあなただと聞きました。同窓会があると、別の人から教えてもらいました〉

日時と会場を教えてほしい、とだけ書いてあった。

私は長い返事を書いた。

急な企画だったこと。全員には連絡が回っていなかったこと。昔のこともあるから、こちらから声をかけるのは迷ったこと。

送る直前、最後に一文を足した。

〈無理に来なくて大丈夫だからね〉

返事は、その夜に来た。

〈無理かどうかを決める前に、案内がほしかったです〉

私は、何も書けなかった。

翌日、もう一通来た。

〈みんなに渡したい写真があります。始まる前に持っていってもいいですか。食事はいりません〉

今度は理恵に相談しなかった。

〈五時半に、店の入口で待っています〉と送った。

千尋は五時半ちょうどに来た。肩までの髪で、紺色のカーディガンを着ていた。

「久しぶり」

私は、そのあとに続く言葉を用意していなかった。

「今日は、渡すだけにするね」

千尋が持っていた紙袋には、二十枚ほどの封筒が入っていた。

早めに来ていた同級生に、千尋は自分から名前を言った。

昔のあだ名を口にした人はいなかった。そのことに安心した自分を、私はすぐに恥ずかしく思った。

封筒には、卒業遠足の集合写真が入っていた。

私がスライド用に切った、あの写真だった。

右端に、千尋が立っていた。

両腕に、何枚もの上着とバッグを抱えていた。足元にも、荷物が二つあった。

あの日、暑いから上着を脱ごうと言ったのは、私だった。

誰かが千尋に、持っていて、と頼んだ。

私は自分の上着も重ねた。撮り終わるまでお願い、と言った。

先生が、全員入るように、と言った。

私たちは中央へ詰めた。千尋は荷物を抱えたまま、横へよけた。

「これ、持ってなかった。こんな端まで写ってたんだ」

近くの同級生が言った。

千尋は余った封筒を机の端へ重ねた。

「いらなければ、置いていって。無理に持って帰らなくていいから」

私は封筒の口を、指でなぞった。

本当は、知っていた。

スライドのために右端を切ったとき、あの袖が誰のものか、私は知っていた。

画面に合わせただけだと思おうとして、そう思えたから、切ったのだった。

千尋に案内を送らなかったのも、同じ理由だった。

千尋が来れば、千尋の持っている写真も一緒に来る。

理恵の言った、困るんじゃない、は、千尋のことではなかった。

困るのは、私だった。

理恵が私を廊下へ呼んだ。写真を、胸に向けて持っていた。

「これ、どうするの。みんな、何て言えばいいか分かんなくなるよ。謝ればいいのかな。でも、今日いきなりみんなでっていうのも違うよね」

その通りだと思った。

千尋に何を言いたいかではなく、千尋に何をしてもらえば場が戻るかを、私たちは考えていた。

会場へ戻ると、千尋は先生と話していた。

先生は写真を見て、当時のことを覚えていないと言った。

「先生に撮ってもらった写真です。全員入るようにって、言ってくれたんです」

千尋は責める口調ではなかった。だから余計に、先生は写真を長く見た。

私は千尋の隣へ行き、スマホを出した。

「私、これをスライドに入れた。でも、端を切った」

送った画像を見せた。千尋の袖も、荷物も、画面からなくなっていた。

「画面に合わせただけ、って言いたいんだけど」

千尋は私を見た。

「切るとき、あなたの袖だって分かってた」

千尋は、スマホの画像をもう一度だけ見た。

「私がいなくても、集合写真になるんだね」

「元の写真に戻してもいい?」

「どうして、私に聞くの?」

勝手に消したから。嫌なら出さないほうがいいから。

どれも、さっきまで自分たちが話していたことと似ていた。

「今日、ここで見せる写真だから。あなたが嫌なら、別の写真にする」

千尋は自分の顔を拡大し、それから私の顔を見た。

「戻して。私がここにいたことは、消さないで」

会が始まる前に、千尋は帰ると言った。

「また、連絡してもいい?」

千尋はすぐには答えなかった。

「案内なら、送って」

私はうなずいた。次は必ず来てほしい、と言わずに済んだ。

理恵が、先生がいるうちに集合写真を撮ろうと呼びかけた。

千尋は振り返って、首を横に振った。

「私は、今日はいい」

千尋が店を出たあと、私たちは並んだ。

前列へ入ろうとした私に、同級生がバッグを差し出した。

「幹事さん、これ、ちょっと持ってて」

私は受け取らなかった。

「後ろの椅子、空いてるよ」

同級生はバッグを椅子に置いた。誰も困らず、それで済んだ。

あの日も、それで済んだはずだった。

スライドには、荷物を抱えた千尋が戻った。

今日の集合写真を開くと、千尋は写っていなかった。

私は端を切らず、そのまま保存した。

それから名簿を開き、灰色の一行を、元の色に戻した。

了