あの子を呼ばなかった理由
「あの子には、知らせないほうがいいよ」
理恵がそう言ったとき、私は名簿の一行を灰色にした。
二十五年ぶりの同窓会だった。
千尋の連絡先は、まだ誰も入力していなかった。
*
中学校の同窓会を開こうと言い出したのは、理恵だった。
地元に戻ってきた私が手伝うことになり、駅前の店を予約した。
出欠の返事が来るたび、名簿に丸を付けた。
四十人いたクラスのうち、二十三人が来る。当時の担任も、顔を出してくれることになった。
千尋を呼ぶかと聞かれたのは、会場を押さえた翌週だった。
理恵は昔のアルバムを膝に置いていた。
「あんなことがあったのに、今さら集まろうって言われても、困るんじゃない?」
千尋の机には、よく誰かの荷物が置かれた。
掃除当番でもないのに、ごみを捨てるように頼まれた。
卒業前には、話しかけても返事をしない遊びが流行った。
遊びと呼んでいたのは、返事をしない側だった。
私は、中心にいたわけではない。
千尋が教室を出たあと、どこへ行ったのか聞かなかった一人だった。
「お酒が入って、また昔の呼び方でもしたら嫌じゃない。せっかく忘れて暮らしてるかもしれないのに」
その通りだと思った。
一晩の酒席を、誰かの謝罪を待つ場所にしたくなかった。
私は名簿の名前を消さず、行だけ灰色にした。
消してはいない。そのことが、自分には少し大事だった。
二日後、先生からメールが来た。
連絡の取れていない人の住所を、本人の了承を得た分だけ教えてくれた。千尋のアドレスもあった。
〈幹事さんから案内を送ってください、と伝えてあります〉
私は、ありがとうございます、助かります、と返信した。
案内は送らなかった。
*
理恵は、当日流す思い出のスライドを作っていた。写真は私が集めた。
アルバムをスマホで撮り、画面に合わせて端を切った。
卒業遠足の写真があった。
バスの前で、みんなが肩を寄せて笑っている。私は中央で、理恵の肩に手を置いていた。
写真の右端に、制服の袖が少し見えた。
そのままにすると、全体が小さくなる。
私は笑っている顔が大きくなるように、右端を切って、理恵へ送った。
〈これ、懐かしい。みんな若いね〉
理恵の返事を見ながら、私も笑った。
*
同窓会の一週間前、知らないアドレスから連絡が来た。
〈千尋です。先生から幹事はあなただと聞きました。同窓会があると、別の人から教えてもらいました〉
日時と会場を教えてほしい、とだけ書いてあった。
私は長い返事を書いた。
急な企画だったこと。全員には連絡が回っていなかったこと。昔のこともあるから、こちらから声をかけるのは迷ったこと。
送る直前、最後に一文を足した。
〈無理に来なくて大丈夫だからね〉
返事は、その夜に来た。
〈無理かどうかを決める前に、案内がほしかったです〉
私は、何も書けなかった。
翌日、もう一通来た。
〈みんなに渡したい写真があります。始まる前に持っていってもいいですか。食事はいりません〉
今度は理恵に相談しなかった。
〈五時半に、店の入口で待っています〉と送った。
*
千尋は五時半ちょうどに来た。肩までの髪で、紺色のカーディガンを着ていた。
「久しぶり」
私は、そのあとに続く言葉を用意していなかった。
「今日は、渡すだけにするね」
千尋が持っていた紙袋には、二十枚ほどの封筒が入っていた。
早めに来ていた同級生に、千尋は自分から名前を言った。
昔のあだ名を口にした人はいなかった。そのことに安心した自分を、私はすぐに恥ずかしく思った。
封筒には、卒業遠足の集合写真が入っていた。
私がスライド用に切った、あの写真だった。
右端に、千尋が立っていた。
両腕に、何枚もの上着とバッグを抱えていた。足元にも、荷物が二つあった。
あの日、暑いから上着を脱ごうと言ったのは、私だった。
誰かが千尋に、持っていて、と頼んだ。
私は自分の上着も重ねた。撮り終わるまでお願い、と言った。
先生が、全員入るように、と言った。
私たちは中央へ詰めた。千尋は荷物を抱えたまま、横へよけた。
「これ、持ってなかった。こんな端まで写ってたんだ」
近くの同級生が言った。
千尋は余った封筒を机の端へ重ねた。
「いらなければ、置いていって。無理に持って帰らなくていいから」
私は封筒の口を、指でなぞった。
本当は、知っていた。
スライドのために右端を切ったとき、あの袖が誰のものか、私は知っていた。
画面に合わせただけだと思おうとして、そう思えたから、切ったのだった。
千尋に案内を送らなかったのも、同じ理由だった。
千尋が来れば、千尋の持っている写真も一緒に来る。
理恵の言った、困るんじゃない、は、千尋のことではなかった。
困るのは、私だった。
*
理恵が私を廊下へ呼んだ。写真を、胸に向けて持っていた。
「これ、どうするの。みんな、何て言えばいいか分かんなくなるよ。謝ればいいのかな。でも、今日いきなりみんなでっていうのも違うよね」
その通りだと思った。
千尋に何を言いたいかではなく、千尋に何をしてもらえば場が戻るかを、私たちは考えていた。
会場へ戻ると、千尋は先生と話していた。
先生は写真を見て、当時のことを覚えていないと言った。
「先生に撮ってもらった写真です。全員入るようにって、言ってくれたんです」
千尋は責める口調ではなかった。だから余計に、先生は写真を長く見た。
私は千尋の隣へ行き、スマホを出した。
「私、これをスライドに入れた。でも、端を切った」
送った画像を見せた。千尋の袖も、荷物も、画面からなくなっていた。
「画面に合わせただけ、って言いたいんだけど」
千尋は私を見た。
「切るとき、あなたの袖だって分かってた」
千尋は、スマホの画像をもう一度だけ見た。
「私がいなくても、集合写真になるんだね」
「元の写真に戻してもいい?」
「どうして、私に聞くの?」
勝手に消したから。嫌なら出さないほうがいいから。
どれも、さっきまで自分たちが話していたことと似ていた。
「今日、ここで見せる写真だから。あなたが嫌なら、別の写真にする」
千尋は自分の顔を拡大し、それから私の顔を見た。
「戻して。私がここにいたことは、消さないで」
*
会が始まる前に、千尋は帰ると言った。
「また、連絡してもいい?」
千尋はすぐには答えなかった。
「案内なら、送って」
私はうなずいた。次は必ず来てほしい、と言わずに済んだ。
理恵が、先生がいるうちに集合写真を撮ろうと呼びかけた。
千尋は振り返って、首を横に振った。
「私は、今日はいい」
千尋が店を出たあと、私たちは並んだ。
前列へ入ろうとした私に、同級生がバッグを差し出した。
「幹事さん、これ、ちょっと持ってて」
私は受け取らなかった。
「後ろの椅子、空いてるよ」
同級生はバッグを椅子に置いた。誰も困らず、それで済んだ。
あの日も、それで済んだはずだった。
スライドには、荷物を抱えた千尋が戻った。
今日の集合写真を開くと、千尋は写っていなかった。
私は端を切らず、そのまま保存した。
それから名簿を開き、灰色の一行を、元の色に戻した。
了