この物語を朗読で聴く(16分)
連絡帳
父の葬儀は、小さなものだった。市場の人が何人かと、アパートの大家さん。それから、小学校のときの担任の先生が来てくれた。
佐伯先生は八十を過ぎていて、杖をついていた。焼香を終えると、私の手を両手でつつんで、小さな声で言った。
「みのりさん。お父さまに、ひらがなでよかったのか、一度聞いてみたかったんですよ」
私は「そうですか」とだけ答えた。何のことだか、わからなかった。
先生はそれ以上は言わず、頭を下げて帰っていった。
*
母は私が六つのときに亡くなった。それから高校を出るまで、私は父と二人で、市場の近くの古いアパートで暮らした。
父は魚市場で働いていた。夜中の三時に家を出て、昼すぎに戻り、夜の八時にはもう寝ていた。私が起きるころ、父はいない。私が寝るころ、父はもう寝ている。二人で顔をあわせるのは、夕方のほんの数時間だけだった。
父は無口な人だった。怒鳴ることもないかわりに、ほめることもなかった。テストで百点をとって見せても、「おう」と言うだけ。学校からのお知らせを渡すと、ちらっと見て、「お前が読め」と返してきた。参観日のお知らせも、運動会のお知らせも、そうやって私の手に戻ってきた。
父が学校に来たことは、一度もなかった。
私はそれを、父が私に興味がないからだと思っていた。
*
小学校に上がると、連絡帳というものを渡された。
家の人と先生が、毎日やりとりをするノートだ。先生が学校でのようすを書き、家の人がその下に返事を書いて、ハンコを押す。
はじめの一週間、私は毎晩、連絡帳を父の枕もとに置いて寝た。朝になると、ノートは台所のテーブルの上にあった。返事の欄は白いままだった。
クラスで返事が白いのは、私だけだった。
となりの席の子のノートをのぞくと、お母さんのきれいな字で、こう書いてあった。
いつもおせわになっております。
私はその一行を覚えて帰り、その夜、自分の連絡帳に書いた。大人っぽく見えるように、なるべく字を斜めにして。最後に「父」と書き、引き出しの奥にあった父のハンコを押した。
次の日、どきどきしながら先生に出した。佐伯先生は何も言わずに受け取り、放課後、いつもどおりノートを返してくれた。
*
二年生の運動会の日も、父は来なかった。
朝、父はいつもどおり市場に出ていった。私はお弁当を、となりの部屋のおばあさんに作ってもらった。徒競走で、私は一等になった。テープを切ったあと、私はお父さんたちが並んでいるあたりを、端から端まで見た。作業着の背中は、どこにもなかった。
夕方、家に帰って、首にかけた金色の紙のメダルを父に見せた。
「一等だった」
「おう」
父はそれだけ言って、ラジオの野球に耳を戻した。私はメダルをはずして、ランドセルの底に押しこんだ。
*
それから六年間、連絡帳の返事は、ずっと私が書いた。
「いつもおせわになっております」「よろしくおねがいいたします」「家でもよく話しております」。言い回しは、となりの子や、その次の席の子のノートから集めた。家で話したことなんて、一度もなかったけれど。
先生はいつも、ひらがなで書いてくれた。
「おとうさん、きょう みのりさんは さかあがりが できました。」
「おとうさん、みのりさんの さくぶんが、くらすで いちばんでした。」
学年が上がっても、先生の文はひらがなのままだった。ほかの子のノートは漢字まじりなのに、私のだけ。それが少し恥ずかしかった。先生は私のことを、いつまでも一年生だと思っているのかもしれない、と。
それでも、そのひらがなを読むのは好きだった。「おとうさん」で始まる文は、どれも、私が父に言ってほしかったことばかりだった。
運動会の次の日の連絡帳には、こうあった。
「おとうさん、みのりさんは きのう、いっとうしょうでした。いちばん はやかったです。」
私はその下に、斜めの字で書いた。家でもよく話しております。
*
ときどき、朝起きると、台所のテーブルに消しゴムのかすが散らばっていた。父が市場の伝票でも直していたのだろうと思って、私はそれを手で払って捨てた。連絡帳がかすかに魚のにおいのする日もあった。台所に置いていたからだと思っていた。
一度だけ、夜中に目がさめたことがある。ふすまのすきまから、台所の小さな明かりが見えた。父の背中が、テーブルにかがみこんでいた。何をしているのかは見えなかった。私はそのまま、また眠ってしまった。
*
中学生のころ、一度だけ、父にひどいことを言った。進路の書類を書いてくれと頼んだら、また「お前が書け」と返されたときだ。
「お父さんは、私のことなんか何も知らないくせに」
父は何も言わなかった。書類をテーブルに置いたまま、市場の長靴をはいて、外へ出ていった。その夜、父が何時に帰ってきたのか、私は知らない。
あやまったことは、なかった。父も、そのことを口にしなかった。
*
高校を出て、私は東京の会社に勤めた。家を出る日、父は駅まで送ってくれた。市場の帰りのまま、長靴をはいていた。改札の前で、父は新聞紙にくるんだ干物を私に押しつけた。
「電車で食うもんじゃないな」
私が言うと、父は「おう」と言って、少しだけ笑った。それが、父の笑った顔を見た最後だったかもしれない。
それから二十年、父から手紙が来たことはない。年賀状は、印刷の文字だけだった。電話はたまにかかってきた。「元気か」「元気」「そうか」。それで終わる電話だった。
亡くなるひと月前の電話だけ、少し長かった。
「お前の、小学校の先生な。佐伯先生。元気かのう」
父の口から先生の名前が出たことに、私はおどろいた。会ったこともないはずなのに、と思った。
「さあ。もう年賀状も来ないし」
「そうか」
父はしばらく黙っていて、それから「そうか」ともう一度言って、電話を切った。
*
葬儀の翌日、私はアパートの片づけに行った。
父の部屋には、ほとんど物がなかった。作業着が三枚と、湯のみと、ラジオ。押し入れの奥に、海苔の缶が一つだけあった。
ふたを開けると、ノートが六冊、入っていた。
表紙に、子どもの字で「一ねん二くみ」と書いてある。
私の連絡帳だった。
捨てたと思っていた。卒業のとき、もういらないと思って、ごみ袋に入れたはずだった。
*
一冊目を開いた。
先生のひらがなの下に、私の書いた、斜めの「いつもおせわになっております」がある。
その下に、鉛筆のあとがあった。
消したあとだった。紙がけば立つほど、何度も書いては消した、うすい線。目をこらすと、読めた。
いつも おせわに なって おります。
一文字ずつが大きくて、ふるえていて、「せ」の字が、鏡にうつしたように逆を向いていた。
次のページにも、その次のページにも。私が書いたすべての返事の下に、同じ文が、消しきれずに残っていた。
私はノートを持ったまま、畳にすわりこんだ。
*
台所の、消しゴムのかすを思い出した。
「お前が読め」と言って、お知らせを返してきた父の手を思い出した。食堂で、品書きを見ずに「同じもの」と頼む父。役所の書類を、十歳の私に書かせた父。ふすまのすきまの、かがみこんだ背中。
*
三冊目のあたりから、鉛筆の字は少しずつ変わっていった。「せ」が正しい向きになった。線がまっすぐになった。四冊目では、私の書いた「よろしくおねがいいたします」を、ほとんど同じ大きさで写していた。斜めに傾けたところまで、そっくりだった。
父は、小学一年生の娘が大人ぶって書いた字を、お手本にしていたのだった。
ところどころ、先生の文の「おとうさん」という言葉の上にも、なぞったあとがあった。ひらがな五文字を、鉛筆で、何度も、何度も。
五冊目には、先生の文の横に、小さな丸がついているところがあった。
「みのりさんは さかあがりが できました。」の横に、丸。
「さくぶんが、くらすで いちばんでした。」の横に、丸。
「きのう、いっとうしょうでした。」の横には、丸が二つ、重ねて書いてあった。
夜中の三時、市場へ出る前の台所で、父がひとつずつ読んで、丸をつけていたのだ。読めた文に、なのか。うれしかったことに、なのか。それはもう、わからない。
*
私は佐伯先生に電話をかけた。
先生は少し黙ってから、話してくれた。
私が一年生になってすぐのころ、父が一度だけ、学校に来たという。作業着のまま、帽子を手に持って、職員室の入り口に立っていた。
「字が、読めんのです」
父はそう言って、頭を下げたそうだ。
「すみませんが、ひらがなで書いてもらえませんか。ひらがななら、ちょっとはわかるんで」
先生はそのとき、返事も書いてもらえますか、とは言えなかったそうだ。
「お父さま、本当に申しわけなさそうでね。帽子のつばを、ずっと指でまわしていらして」
先生は、それから六年間、そうした。
「返事を書いていたのがみのりさんだということも、わかっていましたよ。たぶん、お父さまも。ほんとうはね、六年生にもなって、ひらがなばかりじゃ、みのりさんがはずかしいんじゃないかと思っていたの。でも、やめられなかった。お父さまが読んでいらっしゃると思うと」
受話器のむこうで、先生は小さく笑った。
「だから、聞いてみたかったんですよ。ひらがなで、よかったのかって」
電話を切ってから、私はしばらく、海苔の缶の前にすわっていた。
*
六冊目の最後のページには、卒業式の前の日の、私の返事がある。
六年間、ありがとうございました。父
その下には、もう消しゴムのあとはなかった。
鉛筆の字は、ほかのページより色が濃く、新しかった。ふるえてもいなかった。ゆっくりと、ていねいに、一度で書いた字だった。
私が家を出てからも、父はこのノートを開いていたのだと思う。
缶の底には、もう一つ、四つに折った紙が入っていた。開くと、金色の紙のメダルだった。ランドセルの底に押しこんだまま、いつのまにかなくしたと思っていたもの。折り目のところで、金色がすりきれていた。
私はもう一度、最後のページを見た。
そこには、宛名があった。先生の名前ではなく、私の名前が。
*
みのり いつも おせわに なって おります。 父
了